ホメオパシートピックス
「レメディは、決して一度にニ種類以上使用してはならない」ハーネマン
私たちは今の日本のホメオパシーの状況を残念に思い、
2007年秋にクラシカルホメオパシー京都を立ち上げました。
しかし依然としてホメオパシーは充分に理解されていません。
主著オルガノンにおいて、創始者ハーネマンが特に強調したのは、
「一度に一種類のレメディを最小限度で」ということです。
(オルガノン273~274段落)
この原則は、今も世界中のホメオパシー実践者にとっての基本中の基本になっています。ハーネマンが身を持って実験した「プルービング」や、それを土台にして彼が唱えた「症状の全体像」に「最類似のレメディを使用する」ことが理解できれば、なぜ「一度に一種類のレメディ」しかありえないのかは、自明のことです。
クラシカルホメオパシー京都では、この「一度に一種類のレメディを最小限度で」の原則を大切にした人材育成を目指しています。
実際にハーネマンがどう述べているのかについて、彼の主著「オルガノン」から該当箇所を以下に抜粋しました。
日本語の翻訳と英文をご紹介しますので、ぜひご一読ください。
手当ての際、一度に二つ以上の、ニ種類以上のレメディをクライアントに使用することは決して必要のないことであり、それゆえそうするだけでもすでに許しがたいことである。
十分に知られたレメディを一度に単一のレメディだけ処方することが、それより多く処方することよりも自然にも道理にも適っているだろうか、という疑問をさしはさむ余地すら少しもありえない。
唯一真なる単純な回復術でもあり、唯一自然に適った療法でもあるホメオパシーでは、二つの異なったレメディを一度に服用させることは、決して許してはならないことなのである。
In no case under treatment is it necessary and therefore not permissible to administer to a patient more than one single, simple medicinal substance at one time. It is inconceivable how the slightest doubt could exist as to whether it was more consistent with nature and more rational to prescribe a single, simple1 medicine at one time in a disease or a mixture of several differently acting drugs. It is absolutely not allowed in homoeopathy, the one true, simple and natural art of healing, to give the patient at one time two different medicinal substance.
真の療法家は、何も混ぜない単一のレメディを投与することだけが唯一望めることであるとわかっている。
この、人為的な乱れを生み出すレメディは、ホメオパシーの力によって完全に自然の乱れを消し去り、根源的生命力の感覚からその乱れを取り去り、持続的に回復させることできるものである。
「一つのものだけでできるのに、多くのものを使って行いたいと思うのは間違っている」と賢明にも言われているように、一回に単一よりも多くのレメディを与えることは、真の療法家にはけっして思いつかないであろう。
なぜなら、人間の健康の隅々にまで働きかける純粋で特有な作用について単一のレメディがくまなく吟味されるのだとしたら、二つ以上のレメディを一緒に用いたとき人体の作用に関してどのようにお互い邪魔し変化させる可能性があるのか、あらかじめ予想することができないから。
それに対してさらに理由を言えば、単一のレメディは、ケースの総体が正確にわかっている病気に使用するとき、ホメオパシー的に選ばれていればそれ一つだけで完全に役立ち、しかも、症状の類似性の点で完全に一致して選ぶことができなかったために役立たないような最悪の場合でさえ、レメディの知識を増強させる点で有益だからである。こういう場合に自分で生み出した新しい症状によって確認されるものは、すでに以前このレメディが健康な人体にプルービングされた際に示された症状なのである。こうした有益な点は、合成された薬のどれを使用する場合でも見られない。
(注)十分に考察されたケースに対して適切にホメオパシー的にレメディを選んだとしても、その上さらに、別の薬剤をもとにつくったお茶を飲ませるとか、他のいろんな薬草による薬草袋や湿布剤を貼るとか、あるいは、浣腸剤を挿入したり、あれやこれやの軟膏を擦り込んだりするのであれば、合理的な療法家は、それを、非合理的で惰性的なアロパシーの業務であるとみなすだろう。
As the true physician finds in simple medicines, administered singly and uncombined, all that he can possibly desire (artificial disease-force which are able by homoeopathic power completely to overpower, extinguish, and permanently cure natural diseases), he will, mindful of the wise maxim that it is wrong to attempt to employ complex means when simple means suffice, never think of giving as a remedy any but a single, simple medicinal substance; for these reasons also, because even though the simple medicines were thoroughly proved with respect to their pure peculiar effects on the unimpaired healthy state of man, it is yet impossible to foresee how two and more medicinal substances might, when compounded, hinder and alter each other’s actions on the human body; and because, on the other hand, a simple medicinal substance when used in diseases, the totality of whose symptoms is accurately known, renders efficient aid by itself alone, if it be homoeopathically selected; and supposing the worst case to happen, that it was not chosen in strict conformity to similarity of symptoms, and therefore does no good, it is yet so far useful that it promoted our knowledge of therapeutic agents, because, by the new symptoms excited by it in such a case, those symptoms which this medicinal substance had already shown in experiments on the healthy human body are confirmed, an advantage that is lost by the employment of all compound remedies.1
1 When the rational physician has chosen the perfectly homoeopathic medicine for the well-considered case of disease and administered it internally, he will leave to irrational allopathic routine the practice of giving drinks or fomentations of different plants, of injecting medicated glysters and of rubbing in this or the other ointment.
2011年6月講義(1・2年生)
6月18日(土)野村講師
「プルービング」について、1・2年合同授業をした。
例年、あるレメディ(あるいは原物質)を実際に摂って、生徒さん自ら、プールービング(簡便的に)を体験してもらって来たが、今回初めて、2学年合同でこの学習を試みた。
目的は2つあった。
一つは、プルービングはより多くのメンバーでした方が、良い情報が得られると考えられること。
もう一つは、在学中の3年間のうちに、2回は経験しておいた方が、ホメオパシーへの理解がより深くなると考えられること。
そして、私たち講師陣も、毎年プルービングの体験授業を重ねる毎に、ホメオパシー全体への理解が深まってゆくことを実感している。
2011年5月講義(3年生)
5月14日(土)渡辺講師
ホメオパシー原理の講義として予防接種について、そして解剖・生理・病理症候学として婦人科についての講義をした。
予防接種の問題は、生徒さんにとっても関心の高い課題の一つであり、活発な発言や質問があった。
そして、卒業後に、クライアントさんから、一番質問を受ける分野でもあり、ここでしっかり学んで頂き、生徒さん個々人の考え方を確かなものにして頂きたいと考え、講義を進めた。
2011年4月講義(1年生)
4月23日(土)荻野講師
今日は、新入生(4期生)にとって3年間の始まりの授業である。
それにしても、4期生は、個性派揃いである。そして若い方が多く元気である。それぞれにキャラクターは全く違うけれども、皆オープンマインドで、教室全体が熱く明るく盛り上がって行くかのように感じた。
良い方達が、新しく仲間に加わり、本当にうれしい。
講義の前半は、ホメオパスの役割についてである。具体的なケースを元にして、卒業後にどう考え、行動しているのかをイメージして頂きながら、真のホメオパスが果たす役割について、一緒に考えながら進めた。オルガノン§3をそのまとめとして、皆さんの目標を明確化して終えた。
2011年4月講義(2年生)
4月23日(土)野村講師
2月末の授業で行ったライブセッションについて、レメディ処方後にどのような展開をしたかを報告し、それをもとに以下のことを学習した。
1)へリングの治癒の法則
2)急性病と慢性病
3)周期表(全ての鉱物レメディ)
4)分類としての5大マヤズム
6)ポーテンシーの決め方と再投与のタイミング
使用したレメディは1種類で、2ヶ月で2回(2粒)の投与のみである。最初にレメディをとった翌日から呼吸症状が一時的に出現。その後皮膚症状が出現した。
2011年4月講義(3年生)
今年度はじめての講義は、2日間とも会場近辺
(京都:蹴上~南禅寺)の桜が満開となった。
教室への行き帰りやお昼休み等には、近くを散策して、
勉強の疲れを癒すこともでき、素晴らしい週末になった。
2011年2月 2年生講義
2月26日(土)荻野千恵美講師
レメディ学習の前に、いつものようにオルガノンを確認した。今回は2学年の締めくくりということもあり、原点に返って頂くことを願って、§3を再読し、
・人の何が癒されるべきか?
・レメディの治癒力について。
・レメディの投与法
・治癒をさまたげているものを、どうして取り除くか?
など、ホメオパスの役割について再確認した。同時にこの中のレメディの治癒力について、ハーネマンが厳しく述べている点についておさらいをした。オルガノン§118~120の項目である。
2011年2月講義(1年生)
2月26日(土)野村講師
1年間の総まとめとして、ライブケースを通じて、Case Takingの講義をした。
まずは、オルガノンの§3を元にオルガノンの全体像についておさらいをした。その上で、Case Takingの項目(§83~99)について、講義を進めた。
オルガノンには、事細かにCase Takinngの方法が述べられている。ハーネマンの病に対する妥協を許さない姿勢とその具体性には、何度講義しても驚かされる。生徒さんたちも同じ気持ちだろう。
昨年に引き続き、ライブケースは、お子さんに来て頂いた。小学校の低学年にも関わらず、人前でものおじせず、話して頂き、本当に良いライブセッションが出来た。ケースを受け止めてから、たった一つのレメディに辿り着くまでの一連の流れを体験してもらえたと思う。この講義の目的は、充分に達成できたと思う。ご協力いただいたお子さんに感謝したい。
2011年2月講義(3年生)
2月13日(日)
前半:渡辺講師
講師が学校卒業後に感じた一番大切だと思ったことを伝え、そしてホメオパスになって初めて取ったケースについてシェアした。
戸惑いながら出した初めてのレメディ。
スーパーバイザーの指導を受けて出した2度目のレメディ。
そしてクライアントさんに大きな変化をもたらした3度目のレメディ。
それぞれのプロセスの過程で、ホメオパスはどう悩みどう決断して次第に自信を持って行ったのか、について、その体験を丁寧に伝えることに努めた。
これで、3年制のすべての授業の幕を閉じた。
2011年2月講義(3年生)
2月12日(土)
前半:野村講師
1期生のみなさんは今週で卒業し、本格的な活動のスタートに立たれる。今回は最後の授業なので、難解なマヤズム論についてもう復習した。
病は大きく急性病と慢性病に分けられる。慢性病は人類の歴史の中で徐々に悪化して複雑化してきているとハーネマンは言う。一方急性病は、両者の特徴から慢性病の正反対に位置する存在だと考えることができる。(オルガノン§72)。