レメディの使い方ABC

ホメオパシーとは何か2

Samuel Hahnemann

2007-10-18

皆様、こんにちは。CHK荻野千恵美です。

11月から、京都でのセルフケアコース(SCC)が始まります。
先日、その会場となる京都教育文化センターに行きました。
京阪丸太町駅で降り、5番出口から地上に上がり、
東山に向かって4分ほど歩いたところにあります。

途中、おいしいお漬物屋さんがあります。私は、そこで3種類のお漬物を、買いました。
家族には、「きざみしば漬け」が好評でした。
帰りには、少し離れていますが、東一条の日仏会館のレストラン「ル・カフェ」でランチをしました。
日仏会館は、昭和初期、関西財界人達の寄付と駐日仏大使の情熱でできた歴史的建造物です。
かつては、音楽会、朗読会、講演会ともなると、学者や学生だけでなく、京阪神の名士や、英米、独仏、ロシア人達でにぎわう国際色豊かな場であったそうです。
さすがに、レトロで素敵な雰囲気です。

レストラン「ル・カフェ」では、にこりともしない堅物そうなシェフが料理をひとりで担当。
数名の学生アルバイトらしき女の子が、給仕をしています。
サービスはどことなくぎこちないのですが、味は一流。そして、値段は学食並です。
食事のあと、広い芝生のお庭に降りると、京大の時計台が見えました。

しっとりと落ち着いた雰囲気の中に身を置くこと。
ホメオパシーを学ぶとき、結構大切なことかも知れない。
しみじみ、そんなことを感じる1日となりました。

さて、11月からのセルフケアコース(SCC)まだ、定員まで、空席がございます。
是非、振るってご参加くださいね。
では、始めましょう。

セルフケアコース1「ホメオパシーとは何か」その2

<同種の法則>

ホメオパシーという医療体系を作ったのは、ドイツ人医師サミユエル・ハーネマンという人です。
1755年生まれ。
今年、生誕250年を迎えたモーツアルトより1才年下。
フランス革命の悲劇のヒロイン、マリーアントワネットと同い年です。
ハーネマンは30代で亡くなった彼らより半世紀近く長生きし、彼らほど有名ではありませんが、とても大きな業績を残しました。

当時は、ランプで明かりをとり、馬車で移動していた時代。
医療は今よりはるかにお粗末なものでしたが、当時、主流だったのは、「瀉血」という治療法でした。
病の原因を、悪い血であると考えたのでした。
当時、名医とされたのは、なんと瀉血針できれいなカーブを描く血を放出させることのできる人でした。

この時、使っていた瀉血針を「ランセット」といいます。
「ランセット」というのは、今でも英国の権威ある医学雑誌の名前として残っています。
病の原因を、インフルエンザウイルスやガン細胞、アレルゲンに求める今の攻撃的な現代医学にはどこかこういった医療の面影が残っているように思えます。

瀉血中心の医療に絶望したハーネマンは、医師をやめます。
得意の語学を使って翻訳家として身を立てようとしました。
そして、最初に翻訳しようとしたのが、当時有名だった、ウイリアム・カレンのマテリアメデイカ(薬効書)でした。
そこには、「マラリアの特効薬であるキナが効くのは、苦いからである。」という記述がありました。
当時、マラリアはヨーロッパで最も恐れられていた病のひとつでした。
そして、キナは南米から宣教師によってもたらされた特効薬だったのです。
「苦い物は、他にもたくさんある。この記述はおかしい。」
疑問をもったハーネマンは、自分でキナを飲んでみました。
するとどうでしょう。
マラリアの薬であるキナを飲むと健康なハーネマンにマラリアのような症状が現れたのです。
時間とともに薬効が身体から抜けると症状は消えます。
しかし、また飲むとまた、症状がでました。
「これは、何かの原則ではないか?」
ハーネマンは思いました。同種療法の発見でした。

「健康な人に投与して、ある病気と似た症状を起こせる物は、その病気を治すことができる。」
当時、特効薬とされていたもの100種類ほどを次々に実験しました。
健康な人にいろいろな薬を投与して何が起こるか観察することを
「プルービング」といいます。
こうしてできた薬のことを「レメデイ」というのです。

レメデイについては、次回お話ししますね。
では、またお楽しみに!