レメディの使い方ABC

生理系:セピア Sep.(シイピア)

2010-07-03

こんにちは、クラシカルホメオパシー京都、荻野千恵美です。

すがすがしい初夏の気候から、厳しい暑さに向かうその合間に、もっとも日本的な季節があります。

夏至を過ぎると、太陽はもうすでに、長い時間強い日差しを照りつけ始めますが、厚い雨雲に日本列島はおおわれて、きびしい季節を少し先延ばしにしてもらっているかのようです。

梅雨は、私たちにとって、憂鬱な季節です。
洗濯物が乾きにくかったり、たくさん荷物のあるときに傘をさして歩くのは、気分のいいものではありません。

でも、この季節に主役となるあじさいの、とてもきれいに咲く場所が、いつもの散歩コースにあったのをつい先日発見し、梅雨もまんざらではないなと、思うようになりました。

銀閣寺すぐそばの哲学の道。
ここは、桜並木で有名です。桜の季節は、すごい人出ですが、今の季節はひっそりとして人影もまばら。
でも、ここにみごとな、桜並木ならぬ、あじさい並木といえるような場所があるのです。
ブルー系、ピンク系、濃淡様々、混じり合った花まで。
にぎやかに、楽しげに、人に見られることもなく、咲き誇っていました。

先月ご紹介した、橋本関雪の邸宅の一角にあるレストラン「ノアノア」にも立ち寄りましたが、そこでもあじさいが主役でした。
お庭には、何種類ものあじさいが咲き、テーブルにいけられたお花も、あじさい一色でした。
街中では、蒸し暑く不快極まりない湿度の高さも、ここでは、山や木々、地面、すべてをしっとり潤す優しさに感じられました。
いつも立ち寄る法然院の苔も、ひときわ潤い、みずみずしい緑色をしていました。

それでは、始めましょう。

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生理系:ラケシス Lach.(ラカシス)

2010-08-09

こんにちは、クラシカルホメオパシー京都荻野千恵美です。

連日の猛暑には、心身共に、うんざりです。
私自身、京都のこの暑さは、3回目。
実際経験してみると、想像していたよりは、ずっと厳しいです。
夏の厳しさのピークは、7月半ばの祇園祭から、8月半ばの大文字五山の送り火まで。
貴船や先斗町では、川に床どこを作り、そこで食事をさせるなど、昔から、この町の人々は、この時期の過ごし方に、いろいろに工夫をこらしてきたようです。

今年の夏の、私のハイライトは、川床料理でも、温泉でも、旅行でもありません。

7月の終わりの三連休。
京都、山科でのホメオパシーセミナーに参加しました。
講師は、カナダのルー・クライン先生。
今回のテーマは、発達障害の子供たちへのアプローチだということで、ずっと楽しみにしてきました。

彼は、30年のキャリアを持つ、先生の中の先生。
「困ったらルー先生におまかせ。」
ホメオパス達が自分で解決できない問題の相談を受ける立場にいる方です。

今回のセミナーで紹介されたのは、すべて、このような症例。
処方されたレメディも、聞いたこともないものがたくさん出てきました。

これらのレメディは、ルー先生の著書「ホメオパシーレメディの臨床的なフォーカスガイド」に詳しく紹介されています。
今回のセミナーを主宰された、渡辺先生が翻訳をされていて、購入することもできます。

ルー先生のメソッドは、4段階。

1.真の、その人の傾向と病理を特定する。
2.得た情報をホメオパシーに翻訳する。
3.レメディを選択する
4.反応を評価する。

非常にシンプルですが、その背後にあるのは、深いレメディの理解と、豊かな経験。
ルー先生のセミナーに参加した3日間、とても充実した時間でした。
それでは、始めましょう。

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化膿系レメディ:マーキュリー Merc.(マーキュリアス)

2010-09-13

こんにちは、クラシカルホメオパシー京都、荻野千恵美です。

8月25日、朝日新聞の一面に日本学術会議のホメオパシーに対する否定的な見解が掲載されました。それ以来、代替療法の中でもとりわけマイナーなホメオパシーがマスコミをにぎわせているようです。

セルフケアの講座に通っている、子育て中のお母さんたちの中には、夫から、「子供に、ホメオパシーを使っているようだが、大丈夫なのか?」と言われたという方もいます。
でも、自分の頭で、自分や自分の家族の健康について足元からきちんと考えようとしている人は、今回の騒動をとても冷静にとらえておられるように見えます。
高校生の娘さんがいらっしゃる方から、「娘が、朝日新聞の報道の仕方は一方的で偏っていると言ってました。」という話を聞いたりもしました。

新生児にビタミンK2を飲ませる代わりにホメオパシーのレメディを使うという行為は、ホメオパシーの基本を学んだ方なら、だれでもおかしいと思うでしょう。ただ薄めたものが、自動的にレメディになるはずはありません。これをレメディと呼ぶ方はホメオパシーについて、もっと学んでから発言して頂きたいと思います。
また、朝日新聞のホメオパシー否定論は、公正であるべき立場のものとは思えません。

その一方で、私たちも産経新聞の取材を受けました。
東京から来られた女性記者の方には、8月28日大阪中之島中央公会堂で、私たちが開催している「超初心者向け入門セミナー」に参加して頂き、ホメオパシーとは何かについて学んで頂きました。
彼女は、「公正な立場で記事は書いていきたいと思います。」と何度も言われました。

9月9日に(東日本だけでしたが)掲載された記事は、ホメオパシーに対する否定論・肯定論両方の見解が明確に記してあり、私たちにも十分納得できる内容でした。

この一連の騒ぎは、一時的には私たちの活動にとって向かい風となりそうです。
しかし、この機会に、患者にとっての今の医療のありかたや、マイナーな世界であるがゆえに、知られていないホメオパシー界で起きていることについて、社会からの視線が当たり、公の場で、議論されるのはとても良いことだと思っています。

来月は、いよいよCHKのメインイベントの1つ、国際セミナーです。
昨年に引き続き、オーストリアから二人の先生をお招きし、「続:元素のレメディ~周期律表を解き明かす」というテーマで講義をしていただきます。数年前にオーストリアで調査された統計では、国民の95%以上が、自分や家族がホメオパシーを利用したことがあるとのことです。日本と欧州では温度差がありますね。
今年は、3学年そろい、より一層賑やかになったホメオパス養成コースの生徒さんを前に先生方は再会を喜んで下さると思います。
昨年以上に、熱気あふれる三日間となりそうです。

それでは、始めましょう。

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化膿系レメディ:シリカ Sil.

2010-10-17

こんにちは、クラシカルホメオパシー京都、荻野千恵美です。

今秋も金木犀が香り、萩の花が咲く季節に、オーストリアからお二人の先生方をお迎えして国際セミナーを開催することができました。

今回のテーマは、去年に引き続き「続:元素のレメディ~周期律表を解き明かす~」でした。

高校時代の元素の周期律表は、私にとっては退屈極まりないものでした。
あの頃は、同じ列に並ぶ者同士が共通の性質を持つと教えられても、全く興味がわきませんでした。

しかし、元素が、それを原料とするレメディのテーマや症状像となって並んだ時、その配列は、生まれてきて死んでいくまでの人の人生に反映されているということに気づかされます。
ホメオパシー的な視点から見たとき、周期律表は、今までとは全く違った姿で私の前に現れ、魅力溢れるものに変貌したのです。

1年生にとっては、周期律表を見て元素全体から1つ1つのレメディを理解していくと言うような勉強の仕方をしたのは今回が初めてでした。
しかし、1年生の生徒さんの中から、今回のセミナーを通じて「ホメオパシーの奥深さ、素晴らしさを感じ、ますます学びを深めたいという意欲がわいてきました。」という意見も頂くことができました。

私には、このことがなによりの喜びでした。

CHKでは、このセミナーが初めての3学年合同の授業となりました。
学年の違う人たちが、机を並べて勉強するというのは、教える側、学ぶ側にとっても様々乗り越えなくてはならないことが出てきます。
でも、それを上回る、他学年との交流という楽しさもありました。
三日目の昼休みには、同じ施設内のレストランで、先生方を囲んでの懇親会を開きました。ここは、お料理も素晴らしいのですが、京都の東山連山の見える眺めのいいところです。秋の気配を感じながら1時間半、楽しい談笑の時間を持つことができました。

来年は、いよいよ国際セミナーも、3回目となります。

来年は、「ホメオパシー友の会」主催のセミナーにCHKの生徒全員と卒業生が参加する予定です。学年だけでなく、学校を越えたクラシカルホメオパシーを学ぶ者同士の交流の場にもなることだと思います。

今から、なんだか待ち遠しいような気分です。

それでは、始めましょう。

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カリ・ビック Kali-bi.(ケーライビック)

2010-12-07

こんにちは、クラシカルホメオパシー京都の荻野千恵美です。

今年は、例年になく、紅葉がみごとでした。
京都は、11月中は、名所ごとに、ライトアップをしていたり、あちこちのお寺で、ふだんは見ることのできない文化財の特別公開があったりと、大変なにぎわいでした。

今月に入って、やっとふだんの静けさを取り戻しつつあります。

京都国立美術館では、日本を代表する女流画家上村松園展があり、私は、始まってすぐのころに見に行きました。

もともと、私自身、上村松園の作品には、あまりなじみがありませんでした。でも、もうずいぶん前、ふと目にしたエッセイの中に上村松園について触れられた一文があって、そのエッセイについては、何の記憶も残っていないのですが、「上村松園」という人だけが、なぜか心に焼き付いていました。

そのエッセイの中に、筆者が初めて松園の家を訪れた日の事が書いてありました。玄関に足を踏み入れたとたん、厳しいほどに清潔に履き清められ、磨き上げられた空間に圧倒されたというようなことだったと思います。そして、先日展覧会に出向き、彼女の作品の前に立った時、かつて読んだエッセイの印象が、そのままよみがえってくるのを感じました。

上村松園は、明治9年、京都四条御幸町の葉茶屋を営む家に生まれました。ちょうど、樋口一葉と同じころの人だそうです。
当時は、客が、店でお茶を試飲して、お茶の葉を買っていたようで、そういった人たちの姿を熱心に写生する女の子でした。
その絵の上手なのに驚いた人が、画集をくれたり、アドバイスをしてくれたりして、画学校に進むことになります。
大変勉強熱心な学生だったようですが、当時はまだまだ女性が仕事をして自立的に生きて行くことなど、なかなか許されなかった時代。また、画家というような職業で生きて行くということも現代とは比べようもなく厳しかった時代です。

展示されていた作品は、すべて女性を描いたものばかりでしたが、そこに登場する美しい女性の姿に共通して感じられるものは、研ぎあげられたような、磨き抜かれたような品格でした。決して、頑強、強壮というわけではないのですが、けっしてへこたれない、芯のしっかりした、しなやかな強さ。

晩年、松園は、自分の作品について、「見ているだけで、その人の邪な心が、洗い流され、清められるような絵を描きたい。」と言っていたそうです。私自身も、確かに彼女の展覧会に行き、そんな気持ちになりました。

「背筋をしっかり伸ばして、歩いて行きなさい。日々の仕事を、きちんと丁寧にするのですよ。」と言われたような、やさしく、励まされたような思いでした。

彼女の写真も数点展示されていましたが、やせ形で、けっして頑健なふうには見えませんでした。でも、なにか一つの事を貫き通す強さのようなものを感じさせる人でした。
花鳥風月や風景など、様々な題材を求めて、描くのではなく、女性の美しさだけに焦点を当てて、技術的に、精神的に精進していくような画家だったようです。

ひょっとして、彼女は寒がりではなかったかしら。
汗かきで、よくのどが渇いて、髪や爪は弱くて、風邪を引きやすく、牛乳などは飲めない人ではなかったかしら?
なんて、ついつい思ってしまいました。

繊細、上品、純粋、頑固、几帳面。
長い時間をかけて、不純物を排除し、透明で美しい六角柱の結晶をつくる水晶のイメージが、彼女のイメージと重なりました。
題材も、王侯貴族や権力者ばかりを描いたのではなく、傑作と言われているものには、市井の人の、なにげない日常の一瞬を絵画の世界に永遠に結晶化させたようなものが多いようです。
水晶を原料にするレメディであるシリカは、鉱物のレメディの中でも、貴金属を原料とする人ではなく地球の地殻を構成するありふれたものですから、貴族的であるよりは、庶民的なイメージです。

彼女のレメディはともかく、秋の日のひととき。名画の世界に浸るのは、とても素敵なひと時でした。

それでは、始めましょう。

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