今月の活動
2011年9月講義(2年生)
9月24日(土)荻野千恵美講師
少し短いケース学習をした。
今回の授業の目的は、「ケースの理解」を徹底的にすることに絞り込んだ。
一つのレメディを見つけようとすると、どうしても学習済みの知識や自分の眼鏡~知っているレメディのことや自分が以前学んだことがある心理学的概念や普段の生活で身に染み付いた思考パターンで、人を観て、ジャッジしてしまう。
ホメオパシーでは、これこそが最も除きがたい偏見につながることが多い。
そうした偏見に気付き、出来る限り、それを除いて、ありのまま観ることに近づいて行って頂きたい。そういう願いを込めて、授業を進めた。
ありのまま観れば、すぐに分かるのに、レメディ選びに向かうと肩に力が入ってしまう。そして、自分が持ち合わせている知性で分析をし始め、別の壮大なストーリーを創作し始める。
でも、これは私達講師陣をはじめ、ほとんどのホメオパスがぶつかる大きな壁である。
実際の授業でもやはり、生徒さんは皆、壮大なストーリーを記したので、ケースをもう一度考えて頂き、もう一度「ケースの理解」をして頂いた。
ある生徒さんからは、こういう発言があった。
「SimpleでStupidになるのは難しい」と。
皆さんが一度失敗してもらって、本当に良かったと思う。
個々の生徒さんが、なんでこんなことになったんだろう?って体験できたことが良かった。目の前にいるクライアントさんをありのまま見ていないことに気付いてもらえたと思う。
「ケースの理解」がしっかり出来た後で、その人のマテリアメディカを作ってみると、従来にないほどコンパクトにまとめられた。同時に候補になるルーブリックも簡単に5つまでに絞り込めて、そのままレパートライズしたら、最も類似したレメディがそのまま出てきた。
生徒さん達と共にこの方法の良さを共有することが出来、今後も自信を持って、この方法を磨いて行きたいと考えている。
オルガノン要約
§82 ホメオパシーはプソラに対して癒すべき多数の病気のもつ本質に近づいた。しかしこれからも慢性病の診察可能な症状とその特性を注意深く理解していかなければならない。
真の癒しはそれぞれの症例を厳密に特有の処置(個別化)をすることから始まる。
急性病の場合は、おのずからほとんど全ての情報が提示される。
慢性病の場合は、症状を見つけ出すことさえ困難である。
9月25日(日)荻野哲也講師
レメディ学習を始める前に、改めて前日のCASE学習での反省を全員に述べてもらった。
頭で考えすぎるとか、家庭や学校教育のプロセスや、社会生活を送る中で、色んな偏見が身に着いていることに気づいたと多くの生徒さんが述べてくれた・・・
いつでも何に対しても「なぜ?」を問うてしまう傾向がある。なぜ?という問いかけは大事であるが、自己基準で誰かをジャッジすることにつながりやすい危険もあると思う。
大抵は上から目線でジャッジしている。特に自分の子どもに対してもいつも上から目線で見てしまっていることに気付いた。
このままでは、セッションでもそうなってしまうだろう。これでは、ハーネマンがオルガノンで述べているように「偏見なき観察者」とは程遠い。
・・・など等
レメディ学習はPh-ac. Nit-ac. Fl-ac.の3つのAcid.酸のレメディである。
酸のレメディの共通的な特徴は、「奮闘努力の上での衰弱・疲弊」というものである。
Nit-ac.では、ある生徒さんの元上司が絵に描いたようなNit-ac.であることに気が付いたようである。口論になり、不機嫌になるとプイとドライブにいく人であったらしい。
学習のまとめとして、酸のレメディ全体について伝えた。
世界レベルのホメオパス達~サンカランとショルテン~のそれぞれのアシッドの見解を精読して、講義を終えた。
他の酸系レメディ~Mur-ac.Sul-ac.Pic-ac.~についてもポイントだけ解説した。
個々のレメディ学習では、出来るだけレパートリーを引いて、同じ症状(Rubrics)を持つ他のレメディとの比較をしながら、進めることを心がけた。2年生も後半になり、より広く深いレメディの理解を促して行きたいと考えている。
オルガノン要約
§6 偏見なき観察者が唯一知覚すべきものは、外部に表現された病の徴候・現象・症状の全体(本来の健康状態からいかに逸脱しているか)である。治療家は、生命エネルギーの病的な作用(逸脱部分)全体を「観察」する必要がある。(表現された症状以外に見るものはない)